quarta-feira, 16 de setembro de 2020

 

豊臣秀吉

 

子猿!子猿!

生まれた時秀吉 はそうよばられた.

猿の子と思われるほどひどい顔。

何時偉い人になる?

父の木下弥右衛門 は身分の低い足軽でした。ある時足に大怪我がし.

お百姓になって結婚して子供が二人が出来。一人は秀吉。その秀吉を侍にさせたいと。

秀吉が8才の時、父が亡くなってしまった.

お母さんは夫の友達と結婚し。新しい父は酒を飲むばかりで母を苦しめる.

秀吉は家出を母から許してもらいたいと, 母に楽な暮し。

母から少しお金をもらって家を出た。

お金で木綿針を買った。その時にはミシンがまだなかったので、服は全部手作りでした. この針で食事や止まることを払い。 

侍の松下加兵が秀吉を家のぞうりとりに. あまり賢いので、他の足軽からいじめられ. 松下は秀吉を侍の姿にさせて、家へもどって母にあいにいきなさいと.

母はその姿を見て大層 喜。

織田信長に出会い。

織田信長の城でいろいろな役目を与えられて、秀吉は上手に果たし。信長はこの子は普通じゃない。

信長はたか狩りが好き, たかを使って小鳥を取ること。ある時たかは飛んで高い木の上に止まった. 家来達はみんな恐れた。信長は怒りっぽいの殿様。

秀吉はその木にすらすらと登ってたかをつかみました 信長はたいそう喜びました

城の石垣が崩れた。 その重要な仕事を秀吉に与えた。

 秀吉は大勢の家来達を集めてこう説明し>この石垣を早く直さなきゃ,もしも敵がきたら皆殺されてしまう。

十組に分けて、二十メトロずつ直すこと. 競争させたので二、三日に出来上がりました..信長は喜んで賞金を秀吉にあげた。秀吉はそれを力を合わせた者に分けた。

信長は厳しい大名だった,ですから大勢の敵がありまし。

今川義元、北上氏康と 武田信玄がいち番怖い敵でした。その敵たちが同盟して信長に向かっていた。この三組の敵を防ぐために砦が必要。

敵が近付いてくる所ですから、とても危ない仕事。

秀吉は大勢の浪人を集めた、浪人は殿様を失なったさむらいたち。

秀吉はその浪人達の二分の一を川の近い林につれて木を倒させた。

とりあえず、他の浪人達は敵と戦い。

丸太は川の流れを利用して工事まで届けた。 砦は一週間に出来上がりました。信長はたいそう喜んで、秀吉を将軍に昇進した。

昔に源頼朝が鎌倉幕府をひらいた、足利家がつずけて室町幕府を開いた.大名達は将軍に従わん。  

信長は京都に足利義明を将軍として座につかせた。

ところが信長の勢いが強くなるほど、義明は疑い始め、信長を滅ぼそうと。そうなると、信長は義明を追い出して、その座に着いた、将軍として。室町幕府は二三七年でなくなりました。

秀吉は橋場秀吉と名前を変化。

琵琶湖のほとりに信長は立派な城をたてた。

そのときまだ従わん大名がありました。たとえ毛利輝元。秀吉がその役目について三年間戦いました. 毛利は降参しない。

それで秀吉は高松城をせめること。そこに毛利の家来の清水宗治がとじこもていた。

秀吉には何もできなかい敵は城にかくまったまま。城の周囲は大きな堀。それで、秀吉はあたりの川を自然の道から移動し、敵の城 にその川の水を注ぐことに。それで、城に大騒ぎ>食糧、武器、服までみなずぶ濡れに.

 宗治が降参するといた時に、秀吉にすさまじい知らせがとどいた。本能寺で、信長が明智光秀に殺されたて。

秀吉は輝元に> 宗治の首をとらせたら、ほかのみんな助けてやる。

 秀吉は復習しなきゃ。光秀を追いかけた. ある寺で髪をそって、信長に光秀の首をとるて誓った。 走っていると光秀の待ち伏せにはまるところ、でも逃れきった。近道にはいてある修道隠についた。ところが、そこは沼と川に囲まれて、逃げる道はなかった。敵たちはみな調べて見ても、秀吉は見えません。でも秀吉はそこにいった。僧侶の服を着て、髪をそってたから、ただの僧侶に見えたの。

光秀は信長の城に入った. 殿様が殺されたから、家来たちは逃げていた。光秀は強気になって、京東に入って将軍になろうて思った。

しかし、秀吉にで出会った。

 光秀は逃げていた。夜中に竹やぶを通っていた時、ある百姓から件でさされて,そこで死んでしまった。

誰が信長の跡継ぎ?後継者の信忠も光秀に殺された.。信孝と信勝が跡継ぎのことで争い始めた。

秀吉は会を開いた。柴田勝家は信孝を選らんだ。他の人達は信勝についた. 秀吉は別の意見をのべた>血筋をつながる秀忠の子が跡継ぎ。その子は幼い三歳の子供でした。特に信勝と信孝の間に争いが起こらないように。お祝いの式に跡継ぎの三法師の役になりたいて、その若君を抱いて秀吉は一段高い座に座った。.

信孝と信勝に変な分け前をしたので、二人はずいぶん怒た。

確かに争いが起こる。

秀吉はかまわず信長にはなやかお葬式をまとめた.長い、長い行列に金や銀の輝き。

これから戦争は柴田勝家、信孝は 勝家と同盟. 長引った争いにまけになった勝家は、奥方の市に三人の娘を連れて城を出るように。市は娘たちだけ助けて自分は城に残って夫と死んでしまった. その市は信長の妹でした。

秀吉は三人の娘をかばった。後で一番上の娘を自分の妾に。

秀吉は大阪に立派な城を立てる計画し。物凄い城. 大名達に力を借りて、二年間のあいだに皆頑張って出来上がりました.

 秀吉はあまり贅沢で外の壁に金の絵まで張り付けさせた。目立つの立派な城ができた. 現代は有名な博物館になっている。

秀吉は派手好きな人だったので茶室には見事の棚も、薬缶も、茶碗も、火鉢までみな金で作らせた。 秀吉が寝るの床はヨロッパふうのベッドは金で輝いて。その時に外国人が船で 中国から珍しいものを日本へ届けてった. 船でクリスチアンの宣伝者も大勢に訪れた。キリスト教を伝えるためにたくさんの教会がたてられた。大名たちも大阪城のまわりに沢山の住まいを立てました。

専門家の千利休をあいてにして茶の湯をたのしんでいった、利休もクリスチヤンでした。

跡継ぎの問題で信孝は信勝を腹きりさせた。

 信孝は秀吉を滅ぼそうと徳川家康と同盟して争いをかけ。六ヶ月たってもどちらもまけない。そこで、 秀吉は家康が相手になったほうが良いと和睦 を提案し、あらそいがおわった。 秀吉は家康の性格に尊敬を感じ, とにかく家康は頭をさげる人ではない。

秀吉は自分の妹を家康の奥方に、それで親戚になった。

秀吉に弟の秀長があた 秀長はまじめで勇敢な男、よく働いた。 戦国時代はもう終わったので、やっと信長の夢が事実になって、日本は一国に纏まった。

秀吉には大きな欲望. 秀吉正式に将軍と朝廷から任命されてもらいたい。御門は将軍には源の血筋が必要て。ですから、秀吉度所もない 厳しい身分の仕来り。それで関白に任命してもらった。その役目は御門と国の問題を検討すること、かなり重い責任.

秀吉は感謝の気持ちで朝廷にあの立派な茶室を運んで、御門に茶の湯を立てました 次に、秀吉は茶の湯の祭りを開くことをし。

秀吉はポルトガル人と親しくなった. 船の船長と、それともクリスチャン神父達とワインを楽しんで。クリスチャン教が広まって仏教の人達が心配. 秀吉はクリスチャンの教会みんな倒させた。

 ポルトガルからくる船は中国から珍しい品物。それを商売人に大利益。それで秀吉はクリスチャンを苦しめることをやめた。秀吉は茶の湯の祭りを開いて楽しく過ごし。

茶の湯の専門の千利休がある日自分の像を近くの寺の前に飾りました。 秀吉は非常に怒ってその利休を腹きりさせた, そこに通るたびにあの人の姿をみるなんて。あとで秀吉は後悔して悩んでった。

何時かある召使が命令を忘れて、秀吉がぷんぷん鞭で叩こうとっした。そうすると、その少年が>殿, 御免なさい、俺はまだ若いから殿様みたいに気がつかない 。それにも係わらず今日のことは今日、明日はわからない. その言葉は真実で、秀吉はびっくりして少年をゆるした。そして一つの詩をうたった.

家康が東と東北を、秀吉は南と西を納めて、戦争は無くなりました.

今度は信長が始めた重要な任務に尽くし, それは土地の事実の量り方。たくさんの違いがあって、直すこと。それで年貢も大層変わった。その時にも百姓達の武器を全部没収し。百姓には鍬や斧だけが必要。

もう五十歳を過ぎ、秀吉には子供がいない。それで悩み. 跡継ぎがいない. その時に一人の男の子が生まれた。

嬉しくてたまらない。鶴松と指名. 残念ながら、鶴松は三歳で無くなりました。秀吉は悲しくてたまらい

大きな戦争をしたらこの悩みを忘れる。

中国との戦争! 朝鮮を利用して中国を占有する!秀吉は誇大な野望に乗って、次はインドまで。その戦争の前に自分の妹の息子英次を跡継ぎに任命。関白の役目も. 大名達は反対,日本の土地は狭い、だから中国を占有.  朝鮮が反対して、戦争はそちらに向けった 

もう一人の子ができた!秀頼は最後の天恩でした。

能の会に大名たちが販売人として瓜を売ったり、茶の湯をたてたりしてたのしくあそぶ。そのうちに朝鮮では兵隊たちがすごく苦しんで。

英次が秀吉を滅ぼそうとのうわさ. 英次が無くなったら。。。秀頼が跡継ぎ。とうとう英次に腹切りをさせた。

能の会のあと、重い病気で次第に弱く。もう最後だと思って、重要な過信達をあつめて、秀頼のこと何回も頼んだ。その上誓いの資料に血でサインさせた. 六十三歳で豊臣秀吉は他界し。戦国時代を終わらせて、日本一国にまとめた人。

秀吉が無くなって、理性の無い中国との戦争も終わった

秀頼は将軍にならなかった.  国は待つ事はできない。

将軍はは確かに徳川家康。

 Mirandópolis, setembro de 2020.

kimie oku in

http?cronicasdekimie.com


 

Nenhum comentário:

Postar um comentário