terça-feira, 27 de outubro de 2020

 

    信長、秀吉、家康

三人英雄たちの伝記を書いて、いまさら比べたいことが残った。

まず、三人たちが愛知県に生まれ、同じ時代に育ったことは不思議です。それとも同じ目標を抱いて、日本を統一したことも意外にふしぎです。

織田信長は愛知県の尾張に千五三四年に生まれ、千五八二年に明智光秀に殺され。四十八歳の短い生涯の間に命を賭けて、戦争ばかりし。ほかの土地を占領し、人を殺し、城を崩すし。しかし,一つの一番大事な目的は日本を救って、統一にするつもりだった。国は戦国時代で乱れ。国民は疲れて、困ってた。男性たちは戦争ばかりし、食料はなく、飢えで国民は惨め。。。

されど、信長はとっても賢い人でした。隣の敵たちが油断するように、うつけ振りし。それで尾張のうつけてよばれ。将軍になって、本当の力と残酷さを見せた。一番ひどい事は比叡山の延暦寺を焼き落とし。そこで三千人の僧侶兵と御家族がみな殺され。理由は僧侶たちが将軍の敵をその修道院にかくまったから。

豊臣秀吉は愛知県の名古屋に生まれ、千五三七年に。六十一歳で世から去った。生まれたとき、非常に変な顔で、子猿てなのられ。家族は貧乏人。少年のとき家出。それで信長に出会い。織田家のぞうり取りの役目。秀吉はとても賢いで段々殿様に可愛がられ。信長が殺されたとき、秀吉は夢中になって、明智光秀を追いかけ。光秀は一人の百姓に殺され。

秀吉は真正な人。楽しいときに笑ったり、歌ったり、騒いだり。。。悲しいときに怒ったり、叫んだり、大声で泣いたり。。。気持ちを隠しきれない。

とにかくうぬぼれと傲慢ところもあった。その気持ちで韓国と中国を占領するつもりで戦争を起し。無駄な戦争。たくさんの兵たちが命おとし、何の価値もなかった。

それでも、秀吉は日本を統一にする信長の役目を果たし。また、戦国時代を終わらせ。百姓たちの武器を引き取って、百姓たちを耕しさせ。戦争はもう無い。

徳川家康は愛知県の岡咲城千五四三に生まれ。七十三歳で他界し.三人の中で一番長生きし。母から二歳のときに別れ。家族の 安全のために、母は自家に帰された。二歳から十六まで織田家と今川家に人質にされ.戦国時代の時に強い大名は弱い家族の子や、妻や、兄弟を人質にするのがしきたり。反乱が起こさないように。家康は交換する貨幣のように利用され。

家康は家族の愛情を味わうことはなかった。織田家に暮らしたときが一番楽し。それは信長から可愛いがれ、兄貴分のように馬乗りや泳ぎや剣の使い方をおそわれた。家康はあちらこちらにすてら我慢して強くなっていた。他人の間違いを見ながらたくさん学んだ。

残念ながら、信長の跡継ぎが家康の番だったけれど、秀吉が先に出て、将軍の座を奪った。力も権力もあったけど、ただ秀吉の活動を見てった。それで何十年たって、その座に着いた。

将軍になって有能な人を見せった。領土した城の家来たちを丁寧に扱い、皆から尊敬されるほど。将軍の跡継ぎのことも上手に解決し。開始した徳川幕府は二五十年の間、日本を治めた。しかしながら、家康に侍の残酷さもあった。信長に従って、わが妻と子を殺し。。。殺すか殺されるか。。。まだ、外国人のクリスチアンの神父たちを日本から追い払った.日本人はイエズスの事を恐れてった。

つまり、三人とも愛知県に生まれ。

同じ時代に存在し,千五三四年から千六十六年まで。

そして同じ偉大な目標を実行し、日本を統一の国にした。

とっても不思議な事は三人ともが出会って、それぞれが将軍として後継いだ事。おかげで日本は戦国時代から救われ、強い国になった。

三人ともよく似てった。でも違ったところもたくさん。

鳥は歌わないと殺す。。。。。。。。。。信長

鳥は歌わないと、歌わさせる。。。。。。秀吉

鳥は歌わないと、歌うまで待つ。。。。。家康

Mirandópolis, outubro de 2020.

奥きみえ

http://cronicasdekimie.blogspot.com

 

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